まほうのことば

小説の新人賞などに応募しています。本の話や創作の反省。黒田なぎさ

ゲームの王国・上

・あぶー。

ゲームの王国 上

ゲームの王国 上

 

・2018年2月25日に第38回日本SF大賞受賞。 2018年5月16日に第31回山本周五郎賞を受賞。

ジャンルはSFなのだが、「SFにしておくにはもったいない」と言われている。

・舞台はポルポト政権時のカンボジアを生き抜いた、ひとりの少年と少女の話。当然だが人がどんどん死ぬ。少年少女と言いながら、出てくるのはほとんどおじさんだし、子どもゆえの「なにもできない」とかのイライラする感じはない。むしろ子どもはとても頭がいい。

300ページくらいはこちらで読んでいた。全編収録されていると思ったが、そんなわけはなかった。本編は上下巻の大ボリューム。

ポルポト政権は貧富の格差が激しくなる資本主義をにくみ、共産主義に走ったが、民衆による革命を恐れ、知識人をつぎつぎと殺した。(ポルポト政権も革命で生まれ、自分たちも知識人だった)。すべての国民を農業に従事させ、すべての所有を禁止し、資産だけでなく、愛などの感情まで所有禁止とした。農業生産率をアップしようとしたが、全く効果が出ない。医者は全員子どもで、兵隊も全員子どもだった。

 貨幣という概念がなくなり、資材や財産が消え、物々交換も禁止とされた。

・聞けば聞くほど、「確かにそうかもしれないけど」という考え方。『すべての資産を国がコントロールし、全ての国民を農業に従事させる』。資本主義で貧富の格差がそれほど凄まじかったのかもしれないが。資本主義と共産主義を勉強するにはいいかもしれない。

 

・所有、財産、金銭、知識。革命の妨げになる概念は燃やし尽くす。

・強制労働のところを読んでいるとき、フランクルの『夜と霧 』を思い出した。人は極限状態のところにいると、考えていることがかなりおかしくなってしまう。

・「ひとのウソを見抜く能力」をもった子が現れるが、こういうときにかなり力を発揮する。告発につかえる。そういう能力の話もあったらおもしろい。

・上巻のラストシーンがすばらしい。命のギリギリのとき。

七つの小さな丘を駆け足で登りながら、今の自分が一冊の書物の終わりなのか、あるいは始まりなのか、そんなことを考えた。その書物が自分と家族の話であれば、今物語は終わりに差し掛かっている。では、どういった書物であれば、今の自分が序章になるのだろうか。

ここでどうでもいい回想が入る。すごい。走馬灯というやつだろうか。

・下巻はまた雰囲気がガラリと変わるらしい。(下巻でようやくSFになる。)

・下巻の感想

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