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まほうのことば

小説の新人賞などに応募しています。本の話や創作の反省。黒田なぎさ

僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう

・かんそー。対談の聞き手は永田和宏先生。京都大学名誉教授であり、歌人

 ★山中伸弥先生(iPS細胞・ノーベル生理学・医学賞

アメリカでは科学雑誌に論文を送るとすぐに掲載してもらえていたのに、日本からアメリカに送るとけんもほろろに酷評されて送り返されてくる。よく考えると、アメリカにいたときは、私の力ではなくて、私の後ろ盾となってくれていた高名な先生方のおかげで論文が通っていたわけです。

ほんとにこういうことあるんだなー。今はどうなんだろうか。
アメリカから帰国後、先生はかるくウツになってしまう。

ほとんど何のツテもない中で三十歳のときにアメリカに行ったこと。

予想と反対の結果が起こったときに、がっかりしてもおかしくなかったと思いますが、異様に興奮してワクワクしました。そのときに、「あ、自分は研究者に向いているんじゃないかな」と思いました。

たしかに、学生と一緒になって毎回喜んでいたら、たいへんなことになっちゃうから、われわれは学生が喜んでいても、「ちょっと待てや」って言わざるを得ないところはありますよね。(聞き手)

 予想外の結果にワクワクすること。だいじ。例えば自分はこういうつもりで書いたのに、受け手にはこう感じられてしまった。なにがズレたんだろう? 

アメリカでは、研究者はいつまでも研究者でいられるんです。でも、日本ではノーベル賞をもらってしまうと、ディスカッションの内容が日本の研究のあり方や予算の内容になってしまうことがままあって、研究者が経営者や政治家に変わっていくような感じがすることがあるんです。

この時間に、何をやったら正解というのは全然ないと思います。でも何もしないのだけはやめてほしいと思う。どんなことでもいいから、「あのときはこんなことに夢中になっていたな」というのがあったなら、それがうまく行こうが行くまいが、絶対自分自身の成長につながっていきます。どんな失敗をしてもいい。学生時代にやった失敗は絶対に無駄にならない。

羽生善治さん(将棋棋士

 その物差しには、長いものから短いものまであって、例えば、子どものときに竹馬に乗るために一週間練習して乗れるようになったとしたら、これは「一週間」という短い物差しを一つ身につけたということです。あるいは、英語がうまくなるために三年間勉強した経験があれば、それは「三年間」という長い物差しを身につけたと言えるでしょう。そのあと、もう一つ新しい語学を身につけようと思ったとき、英語では三年かかったのだから、最初の半年ぐらいは分からなくても当たり前だ、と割り切ることができます。

ほほー。確かに経営者とか、半年スパンとか3年スパンで考えられる人は尊敬する。それに慣れちゃってるからなんだな。 

私の場合は、サイエンティストでありながら、もう一つ文学の仕事をやっている。やりながら自分ではとても大きな葛藤があるんですね。サイエンスをやっていながら、それだけに集中しないで別のことをやっているとても居心地が悪いわけです。自分の中にもこの道一筋という美意識というか、美学があって自分は二股かけているんじゃないか、という後ろめたさが私の最大の敵だったんです。(聞き手)

長い時間、二つのことをやってきましたが、最近になってようやく、これでよかったんだと思えるようになってきました。それに、ある種の風通しのよさというものもありますね。でも、若い時にはしんどかった。今となってみれば、一つのことだけしか自分になかったとしたら、それがうまくいかなくなると全否定ということになってしまう。(聞き手)

 

たとえば子供の時に将棋をやっていて、駒を動かすのが楽しかった時期ってありますよね。そういう楽しさは捨てなければいけませんでした。それで将棋の奥深さのようなものは知ることになるんですけれども

 イチロー選手も似たようなことを言っていた。メジャー3000本安打のあと、(2016年)「子供のころみたいに楽しむことはできない。けど、自分のプレーで人を楽しませることが楽しい」的なことを。

ところが今はどんな職業でも、一人前になるまでこれぐらい年数がかかるとか、こういう待遇だとか、ちょっと調べればだいたいわかる。この道を選んだらこうなるというリスクまで簡単に想像できるので、それでかえって躊躇してしまうこともあるのかと思います。

よく羽生先生が話している、情報化社会のデメリット。将来の夢の予想が簡単についてしまう。効率やコスパを見極めようとして一生けんめいに調べると、動けなくなるかもしれない。アメリカにエイヤっと留学した、無計画に。